カテゴリー「JAL123便」の6件の記事

2008年2月 4日 (月)

御巣鷹山に行ってきたの続き

先日GINAさまから「御巣鷹山に」にコメントを頂、昨年の6月御巣鷹山に登ったあと、北海道ツーリング等で、なかなか書けなかった御巣鷹山の続くを書きたいと思います。

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私達が御巣鷹山の駐車場に着くともう既に登り始める方もいました、私達も

慌てて用意をして出発する事にしました。

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御巣鷹の尾根の登山道入り口、ここから慰霊塔までは高低差160メート

ぐらいだそうです。

地元の小学生達が作った杖もありました。

そこから山に登っていくと道も非常に整備されていて歩きやすいのですが、

運動不足+デブの私はあっと言う間に友達に置いていかれてしまいました。

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山の中には墜落の時焼け焦げたきがまだ残っておりました。

そして休み休みやっとの思いで、御巣鷹の尾根に着くと、友人が一人泣いて

おりました。

御巣鷹の尾根の風景の写真はあえてUPしませんが、たくさんの墓標の前には、

残された家族の方々の成長の記録の数々の写真や手紙、思い出の数々が飾れて

おり、数々のこころざし、なかばで、お亡くなりになられた方々の無念な気持ちが

とても感じられ、そして辛くて、あの時の気持ちはなんとも言葉では言い表せません。

今でこそ簡単に行くことが出来ますが、当時はまさに日本のチベットと言うくらい

誰も人が入った事がない山の中で、燃え盛る機体ののかで誰の助けも来ること

がないまま命を落とされた方々、どんなに無念だったのか...

もしこのブログにご興味をお持ち頂いた方がいらっしゃいましたら、一度御巣鷹

でご自身の目でご覧いただければと思います。

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2007年6月 6日 (水)

御巣鷹山に

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御巣鷹山に慰霊登山に行ってきました、数年前から行きたかったのですが

なかなかこの時期は世話しなくってなってしまうのが常で、なかなか

実現できませんでした。一人でバイクで行こうかと思いましたが

今回は、山登りもあるので一応友人と車で行ってきました。

しかし、いっくら本など読んでも、実際行かなければ解からない

ことの多さに驚かされました。

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一番上の写真は途中の峠から御巣鷹山のほうを見下ろした

写真ですが、山、山、本当に深い山の中でした。

そして次の写真は御巣鷹山の8キロほど手前でだと思いますが、

結構がけ崩れ一歩手前で石がごろごろと、

でもこの道も多分事故後に作られた道みたいで、山国で育った

僕ですが、どんどん深い山の中に入って行くのには、少し

恐怖すら感じました。

途中ダム建設用の道路が開放されておりすっごくいい道も

ありました。しかし当時は道なんかろくになかった訳ですから

当時救出にあたられた方々は苦労は想像を絶するものだった

のでしょう。

今でも頭の中が整理されず家に帰って来てからも、

御巣鷹山で見た映像が頭を離れませんでしたが、

遺族の方々、またいろいろな方々のご協力で

私様なものでも、お亡くなりなられた方々の慰霊

をさせていただけたこと心より感謝しております。

整理がつきましたら、又詳しいレポートは

させて頂きます。とりあえずご報告まで。

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2007年6月 4日 (月)

日航機墜落事故が数々の疑惑を生んだ理由

この事故では数々の疑惑を主張されていますが
どの疑惑とも、航空事故調査委員会が結論付けた
事故原因(圧力隔壁の破壊)に対する矛盾点に
起因するものがほとんどではないでしょうか?

僕も数々矛盾点を指摘する文献を読みましたが
この件の関してだけは、「圧力隔壁による破断が
事故の主原因ではない」と考えた方が、自然で、
尚且つ合理的ではないかと思います。

>異常事態発生

>JAL123便は 18時24分(離陸から12分後)、相模湾上空

を巡航高度の
>24000ft(7200m)へ向け上昇中、23900ft(7170m)を通過
>したところで異常事態が発生する。突然の衝撃音と共に
>123便の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して
>破壊され、その際ハイドロプレッシャー(油圧操縦)
>システムの4系統全てに損傷が及んだ結果、油圧を
>使用したエレベータ(昇降舵)やエルロン(補助翼)
>の操舵が不可能になってしまう。

原因

>航空・鉄道事故調査委員会の前身、当時の航空事故調査
委員会が結論付けた事故原因の要点は以下の通りである。

>1978年6月2日に伊丹空港で同機がしりもち事故を起こした。
>その後のボーイング社による修理が不適切であったため、
>飛行の度に客室へ与圧を繰り返す内に圧力隔壁に金属疲労
>が蓄積した。金属疲労が限界を超え、そのために、飛行中
>に圧力隔壁の破壊が発生した。
>圧力隔壁の破壊の衝撃により、航空機後部の4系統ある
>油圧操縦システムの全てが失われて操縦不能に陥った。

これは素人が考えてもおかしいですよね。

先ず袋に入っているポップコーンをイメージしてください。
これを空気の薄い高い山に持っていくと、袋は次第に膨らみ
さらに空気が薄くなると袋は張り裂け、中のポップコーンは
その辺に散乱してしまします。
これが嘘だと思う方は、海外旅行に行くとき、カチッと蓋を
閉めるタイプの使いかけのリンスやシャンプー等をスーツ
ケースに入れて飛行機の荷物室に入れてもらいましょう。
現地に着いて荷物を空けてみると、リンス等の蓋が開き
スーツケースの中はリンスだらけになっています。

本当に垂直尾翼等を吹き飛ばす程の圧力隔壁の破壊があれば
当然中にいる人たちは圧力の変動で、機内はパニックなるは
ずです。でも後に発表された落合さんの証言では、機内は
いたって冷静でみんなで酸素マスクを付け合っていたそうです。

これが素人的考えても、圧力隔壁の破壊による急減圧はなかった
のでないかと容易に推測できる理由です。

僕の個人的意見ですが、しりもち事故による修理ミスはあったが、

主原因とされる、圧力隔壁に破壊にによる

急減圧はなかったと考えております。

>圧力隔壁破壊が発生した場合に起きる急減圧、
>室温低下などの現象が証言からは発生したことが
>窺えない点が指摘されている。それによれば、
>圧力隔壁が破壊された場合、機内の気圧が急激に低下し、
>減圧症により乗員・乗客が意識を喪失してしまう可能性が
>高いにもかかわらず、同機では前述のように遺書を残したり、
>機内を撮影した乗客がいることを考えると急減圧が起きて
>いなかったのではないかと推測されるのである
>(実際、2005年8月14日にキプロス・ヘリオス航空の
>ボーイング737型機がギリシャ北部の山中へ墜落した
>ヘリオス航空522便墜落事故では、与圧装置の故障によって上記の
>「急減圧」が発生し、操縦士が意識を喪失したことが墜落
>の主原因とされている。
>救援に向かったギリシャ空軍戦闘機のパイロットが目撃。
>急減圧が発生すれば人体への影響が大きい事を示している)。

>また、垂直尾翼が破損した後に多くの部品が相模湾に落下したが、
>事故調査委員会が、事故原因の鍵を握っているはずのそれらの部品
>の捜索を早期に始めずまたすぐに打ち切ったことが、
>「航空事故調査委員会による結論」を疑問的見解を持つ者たちには
>一つの拠り所にもなっている。

のちに公表された証言や、公開されるはずのないボイスレコーダが

流出しその内容の多くが、航空事故調査委員会の結論を否定する
材料として不足のないものだったため、たくさん方が
この事故に疑問を持ったのでしょう。
航空事故調査委員会はそんな世論の話をよそに再調査も行わず、
むしろ証拠を期限切れとして破棄しようととした動きが、あったと
報じられています。

そんな事実から、 なぜ、世界航空機単独事故で最大の死者

を出してしまったこの事故において、航空事故調査委員会は

間違った結論を出したのか、もしくは結論を出さなければなら

なかったのか?

当然のごとく誰が持ってしまう疑問が、数々の疑惑を生んでいった

のでしょう。

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2007年6月 3日 (日)

単独の事故では最大死亡者数となる理由

大型旅客機の事故はJAL123便の事故後も大韓航空機撃墜

事件(1983年9月1日)、アメリカ同時多発テロ事件等、悲しい事に、

たくさん起きておりますが、なぜにJAL123便の事故が、単独事故

としては世界最大の死亡者数になってしまったのでしょう?

>運輸省航空事故調査委員会による事故調査報告書によると、
>死亡者数は乗員乗客524名のうち520名にのぼる。
>この数字は日本国内で発生した航空機事故では最大であり、
>世界の航空事故では全体の中で2番目、単独の事故では最大である。

>乗客の中には著名人が多数含まれており、夕方のラッシュ時と
>帰省ラッシュが重なったことなどにより乗客が多かったこともあり、
>他にも家族連れや企業の役員、外国人などの犠牲者も多かった。
>生存者は4名(全員女性)で、うち1名は日本航空の非番の客室乗務員であった。

事故機はボーイング747 SR-100とう機材で、
短距離でありながら乗客の非常に多い路線が多く、
短距離であるために離着陸回数が多い日本市場向けに
-100型をベースとして開発された短距離路線用モデル。
SRはShort Rangeの略であり、JALとANAのみが発注していとの事。

通常国際線の場合目的地までも燃料と予備の燃料を搭載するため
重くなり乗客定員より少ない乗客数で運行される、よく満席とアナウンス
されているのに最後尾や所々空席があるのはこのためのようです。

しかし羽田、大阪、区間はでは多くの燃料を搭載す必要はなく事故日は

>夏休み中で「お盆の入り」でもあり、休みに入っていた
>人が多かった。そのため、同機には出張帰りのサラリーマン
>のほか、帰省客や、翌日に行われる甲子園球場での高校野球
>選手権大会に出場する学校の関係者、茨城県新治郡(現・つくば市)
>で開催されていた筑波科学万博や東京ディズニーランド
>などからの帰宅者、海外からの観光客なども多くの搭乗者があり、
>ほぼ満席の状態だった。

世界でも類を見ないほどの短い区間を大量輸送を繰り返さなくてはいけない

日本の環境化で、超満員のジャンボが墜落してしまった。

これがこの事故が航空機史上、単独の事故では最大死亡者数を

だしたしまった理由です。

これからエアバスA380が運行の開始すると最大輸送人員は840名程になるそうですが
もうこれ以上悲しい航空機事故が起きないことを祈ります。
 

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2007年6月 2日 (土)

1985年8月12日

1985年8月12日お盆の入りの暑い夜の事、テレビでJAL123便の

事件を知りました。自衛隊や警察が出動しても、なかなか事故機

が発見されず大変やきもきしていたのを覚えております。

 もう20年以上経過していますが、今でもたくさんの方々が

この事故に関してたくさんの疑問を唱えております。

僕も何冊かの本を読みました、しかし僕は航空機評論家

でもなければ、その関連の職業でもないので大それた

事は言えません、でも520名もの命を奪ってしまった

航空機事故がこんなに疑問を残してしまった状態

で本当にいいのでしょうか?無くなられた方、御遺族の方々

最後まで機体を着陸させようと、がんばった機長さん達が

浮かばれるのでしょうか?

ただ、昔の事でもあり、話に尾ひれがついて、とんでもない

空想がまじり、中にはとても信じられない説を唱え、それで商売を

されている方もいるみたいです。

もしお時間ありました下記のサイトをご覧ください。

お手数ですが リンクがうまく張れないため うまくたどり着けない

方は検索で  Wikipedia 日本航空123便墜落事故

で御検索下さい

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2007年5月29日 (火)

ブログを休んでしまいました

この世の中はっきりしない事って結構ありますね。

僕も昔は技術者だったので、これこれこういう理由でこれが

こうなってこうなっってすべてはっきりしないと気が済まない

たちなので、困ったものです。

ここ二日ブログをお休みしたのは月末の仕事が多くなったせいも

ありましたが、又非常に気になる事を思い出してしまったからです。

それは1985年8月12日真夏の夜の起きた、日航機墜落事故です。

墜落現場が、私の住む信州かもしれないとずっとテレビにかじり

ついて見ていたのを覚えております。

それから10数年が過ぎそんか記憶も消えかけたころ

どこかの掲示板のリンクをふとクリックするといきなり

見たことないページが開き目が釘付けになりました。

そこから僕のJAL123関連の本などを読むようになりました。

又、たくさんの方ブログやホームページで数々のこの事故の

問題点などをアップアップしていらっしゃいます。

もう少しで又8月12を迎えますが、今事故で、こころざし半ばで

お亡くなりになられたたくさんの方々ごご冥福をお祈りします。

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